クモ膜下出血を発症し、49歳で過労死。

① 夫の過労死・労災・民事裁判

2010年10月、和歌山県内の社会福祉法人が経営する介護老人福祉施設で、事務管理室室長であった夫が、残業中に脳動脈りゅう破裂によるクモ膜下出血を発症し、突然亡くなりました。

夫の勤務先と私たち家族の住居、私の自営業が同じ町内で狭い地域での出来事だったこともあり、私は、孤独を感じながらも、『夫の死の原因は、年々仕事量が増加したための残業と休日出勤、精神的ストレスからの過労死では』と考え、毎日不慣れなパソコンに向かい合いました。夫の勤務状況や私の記憶などからの時間外労働は、1か月に150時間程度の月が続いており、夫からは仕事の悩みも聞いていました。

以前テレビで観たことがあった過労死110番を検索し何日も考え、思い切って電話をしました。弁護士さんと面談した時は、泣きながら夫の働き方と私の気持ちを話し労災の手続きを進めていただくことになりました。

その後、夫は労働基準監督署で労災と認定されましたが、責任追及と原因究明を求め、民事裁判を和歌山地裁に提訴しました。地裁では勝利判決でしたが、相手側の控訴で高裁に進みました。大阪高裁では地裁判決を踏襲した和解の勧めがあり勝利和解で終了しました。

私は夫の死後、『誠実に働いてきた夫の名誉を守りたい』という思いを持ち続けていました。高裁での和解条項は、被告らの夫への感謝、謝罪の文章はもちろん、被告らが、夫が不適切な会計をしたかのような主張を行ったが、事実ではなかったことと、職場での夫の発症時の説明について遺族に虚偽の説明をしたことをそれぞれ認め、謝罪することが条項に加わりました。これについては、弁護士の先生方のご尽力はたいへんなものであったと感謝しかありません。

② 家族の会との出会い

弁護士さんは、出会った直後に大阪過労死を考える家族の会をご紹介くださり、入会させていただくことにしました。

これまでの私の人生で、弁護士さんや裁判との接点はなく、心細く不安でいっぱいでした。初めて家族の会の皆さんとお会いした時は、同じ思いをされた遺族の方々からたくさんのアドバイスや励ましをいただき、『私だけではないんだ」と感じ、孤独な気持ちが吹き飛びました。

それ以降も、家族の会の例会に参加し、皆さんのお話をお聞きし参考にさせていただき、夫の労災や民事裁判の進捗を報告し相談に乗っていただきました。裁判は和歌山地裁と大阪高裁で行われましたが多くの方々の裁判傍聴のご支援をいただき、たいへん心強く感じました。裁判が終わった今も、家族の会の仲間は私にとっては、過労死遺族の気持ちを理解しあえる存在であり続けています。

③ 過労死防止啓発活動・家族の会の支援

私が、大阪家族の会に出会ったころから、全国過労死を考える家族の会は、過労死防止基本法を成立させようという運動を行っていました。私も、『このままでは、過労死・過労自死は減るはずがない。私たちのような悲惨な遺族をこれ以上増やしたくない。』と考えるようになりました。

当時、全国で遺族が地方議会への申し入れを行っていたため、私も弁護士さんや家族の会の仲間、たくさんの方々のお力をお借りし、地元の和歌山県、和歌山市、居住地の有田川町に意見書申し入れを行いました。3議会とも全会一致で採択という結果に、過労死問題への理解が広がっていることを実感しました。

全国で、50万人以上の署名も集まり、2014年6月20日に過労死等防止対策推進法として成立しました。

法成立後、家族の会は、厚労省事業の過労死等の防止啓発の活動にも協力し、過労死・過労自死がゼロになり遺族が存在しなくなる日を切に願っています。

しかしながら、今も家族の会には、たくさんの遺族や当事者が相談に来られています。それぞれの職場、働き方、事情や亡くなり方も同じではありませんが、家族の会では、相談者の働き方や会社の対応などをお聞きし、ともに憤り応援し一緒に闘っています。

『大切なご家族の死はもしかして過労死・過労自死かもしれない』とお考えの方は、独りで悩まずご相談ください。