「ママ、息するのもしんどい」娘が残した言葉です。

① 職場環境

娘は医療関係の仕事を始め、慣れない環境で懸命に仕事を覚えようとしていました。

その職場は退職者も多く、他の職員も人の面倒を見ると言う余裕がない上に次々と通常の業務とは何ら関係のない業務指示がなされ、長時間の叱責やあからさまな嫌がらせがあり、娘の様子が日を追うごとに変わり、活発で友人達とよく出掛けていた娘がその職場で働き始めて数か月で休みの日には自宅部屋から出てこず職場のことを考えると眠れず食事も取れず働き始めて一年も経たない間に鬱病を発症しました。

娘は職場での悪環境とそれが原因となった鬱病とも闘いながら仕事をしていました。

今後の対応について上司らと話し合う日の朝に自ら命を絶ちました。

最後に娘と交わした言葉が「自分が出来なかった」と我が身を責めていました。娘は悪くないその職場の環境ややり方に問題があったのに…。

娘の死を受け入れられない状態の時に頭に浮かんだのが「過労死」です。
娘は勝手に死んだのでは無い‼仕事が原因で亡くなったのではないか?

② 労災認定への壁

娘の友人から労働問題に熱心な弁護士を教えてもらい、労働災害の申請を行いました。先生方はとても親身になり活動をして頂きました。しかし経験豊富な先生方をもっても娘の事案は困難を極めました。

ハッキリとした長時間労働や大きなエピソードがなく毎日、日常的の嫌がらせや上司からの圧力で確たる証拠が見つけにくく、労基認定のハードルの高さを嫌と言うほど感じました。

いつも労基署の書類を見ては悔し涙で読めず体調も悪くなり、この思いをどこに持っていけばいいのか?娘を亡くしただけでも我が身を引き裂かれ、その上娘が受けた辛い出来事を直視しなければいけない現実にいっそのこと我が身も娘のところに行こうと何度思ったことでしょう。

しかし、この無念を晴らせるのは私だけ、娘の声を代弁しなければいけないと思い娘の仏前に「ともに闘おうね」と手を合わせました。

③ 出会い、過労死を考える家族の会

弁護士の先生方には時に感情論で話をしてしまい困惑させてしまいました。そんな時に弁護士の先生から「過労死を考える家族の会がありますよ」とパンフレットを頂き、私と同じような思いをしている人たちがいることを初めて知りました。しかし自分のことで一杯なのにそんな会にとても参加出来ない、行ってどうにかなるものではないと思いしばらく何もしませんでした。

ある時、弁護士の先生方に自分の感情を話してもいけないと先生方は娘の為に懸命に仕事をして頂いていると、そして周囲の人々に話をしてもこの辛さは経験したものでないと解ってもらえないことを感じて、やっと家族会に連絡を取りました。

初めて例会に参加した時、溜まっていたものが一気にあふれて話す前から泣き出し何を話したか覚えていません。

周囲の人たちが何も言わずに一緒に泣いて、手を握ってくれて、そのことでとても気持ちが和らいで「私ひとりじゃないんだ!」「声を上げて泣いてもいいんだ」と。

④ 今思うこと

労災が認められない中、会社に対する民事損害賠償請求訴訟では裁判上の和解をしました。

どんな結果になっても大切な娘が帰ってこない辛さは7年が過ぎても変わりありません。

それでも、娘の死を無駄にしたくないという私の思いと、家族の会の皆さんをはじめとする、私の思いを支えて下さった方々のお陰で大変な裁判を終えることが出来ました。同じ立場で支え合う、それが家族の会が遺族にとってかけがえのない場であることの要だと感じています。

⑤ 家族会で話してみませんか

2014年6月過労死等防止対策推進法が成立されましたが、上司等によるパワハラでうつ病や適応障害を発症する事例や自死に追い込まれる事例が多くなりより一層の支援対策が必要となりました。「パワハラ防止法」が2020年6月に施行されましたが家族会でお聞きする多くの話は、職場内でのハラスメントで苦しんでいる当事者の方や被害を受け亡くなられた方の遺族の話です。

私達はプロのカウンセラーではないですが、同じ痛みを持つ身として共に支え寄り添っていきたいと思っております。

同じ思いをされている方、一人で悩まず何でも良いので家族会で話してみませんか。